日本音楽集団
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 第181回定期演奏会 モニターレポート

■モニターレポート1(T.H.氏)

1.梁塵今様
 邦楽と合唱という、新しい可能性を感じた。合唱は完成されていて大変気持ち良かったが、この曲の歌は児童合唱団でなくても良いかと思った。(大人向き)
 4つ目と、5つ目の歌が特に印象に残った。
 
3. ひかりのうたげ
 歌だけでなく、邦楽器演奏もフューチャーされており、聞き応えごたえがあった。
 箏も三味線も、笛、尺八も、それぞれの良さが曲の中に生かされており、歌の印象に負けることなく、良い演奏だった。楽器と歌が複雑に絡むところ(指揮が二手に分かれたところ)は、演奏に引き込まれるような感じだった。子供の歌もかわいく、また聞きたいと思った。

5.舞歌U
声もひとつの楽器なのだと、改めて感じた。笛や尺八の音に混ざり、自然に声が重なっていて、初めの歌い出しに気づかなかった。合唱団のみなさんがとても時間をかけて練習されたのだろうと感じた。「歌」というより「声」という種類の楽器が、邦楽器とよく合っていて、心地よく、そして興味深く聞けた。

 「合唱」と「邦楽器」という新しい試みは、初め、せっかくの楽器演奏が歌に負けてしまい、ただの伴奏のような感じになってしまうのではないかと思っていた。しかも、ひとつのコンサートの中に、三曲も合唱とのコラボ曲があるということで、邦楽ファンの私は期待が薄かった。(すみません)
 しかし、聞いてみると、それぞれの曲は全てイメージが違うものであり、合唱と楽器との関係もそれぞれに特長があり、どれも興味深く聞くことができた。
 日本音楽集団の定期演奏会は、邦楽に携わっている人も多く聞きに行かれていると思う。ここで発表される新しい曲には、皆、注目しており、そういう意味では、今回のプログラムは「児童合唱団との共演」という新しい取り組みに期待した人と、「演奏だけでない曲」ということで敬遠した人といるのではないだろうか。私は今回の曲を聞き、音楽集団の新しい一面に触れられたことをとても幸せに思う。
 「秋の一日」と「四季、ダンス・コンセルタントT」の2曲は、音楽集団のスタンダードな曲ということで、楽しみにしている人も多かったと思う。どちらの曲も、既に、広く一般の人にも演奏されているものだと思うが、「秋の一日」の演出はおもしろく、新鮮な感じで聞くことができた。米澤さんの尺八がとても気持ち良かった。いいところで三味線の糸が切れてしまったのは、残念だった。
このような、音楽集団のスタンダードな曲は、すでにCDも出ているので、生で聞く良さや演出が欲しい。一般の合奏団では真似できない楽器編成や、若手メンバーで演奏するとか、稲田康様や田村文生様の指揮でも聞いてみたい。(もちろん演奏のレベルの高さは、真似できるものではないが)いつもとは少し違った「秋の一日」や「ダンス・コンセルタント」を期待したい。スタンダード曲でも、安心できる演奏ではなく、新しい発見が欲しい。今回は、合唱団とやった、新曲の方が、何となく緊張感があって良い演奏だった気がする。

ロビーコンサート
 「五声のコンチェルティーノ」
 新入団員の方々ということで、若い皆さんの演奏でしたが、とても完成されていて素敵な演奏だった。それぞれの楽器の聞かせ所がある曲で、迫力もあり楽しめた。
近くで聞けるという機会は少ないので、とても満足した。
今回に留まらず、是非、毎回やって欲しいと思う。ベテランの方の演奏も近くで聞いてみたい。
 新入団員の方のプロフィールもホームページにアップして欲しい。

会場について
 最近、定期演奏会は津田ホールと第一生命ホールを交代で使われているようですが、客の立場としては、第一生命ホールでのコンサートの方に、より満足感が得られる。駅から少し遠めですが、このキレイなビルとキレイなホールに行くことが、とても特別な感じがして、それだけで嬉しくなる。
 
感想
 チラシの裏にも、西川さんの言葉で書いてありましたが、今回は本当に音楽のジャンルというものを考えさせられた。
 「邦楽」という音楽の種類を、どうにかして広めていきたいと思っていたが、それは自分の視野が狭かったのかもしれない。他の音楽や、他の芸術とのコラボで、ますます音楽集団の良さを追及していってもらいたいと思う。
(T.H.)

■モニターレポート2(M.K.氏)

I.全体の印象
 「児童合唱と邦楽器」という一寸思いつかないような目新しい催しでした。「取れ立てのレモンからほとばしり出たような音」と表現されていましたが、客演のNHK東京児童合唱団、とくにザ・ユース・クラスの歌唱力のすばらしさに驚かされました。日本にもウィーン少年合唱団にも比すべき見事な合唱団のあることに気付かされ、嬉しい思いでした。ザ・ジュニア・クラスも、この年頃でなければ出せない、可愛い味を持っており、又実力を積んでユースへ進まれるのも楽しみなことです。このような催しに接して、多くの子供達が邦楽器に関心を寄せることが期待されます。何かキッカケがないと近寄り難い古典曲よりも敷居が低く、子供達にも親しみやすいこのような曲を通じて邦楽器にも親しんでほしいと願っております。

 集団創立以来の功労者でもある、長沢氏と三木氏の、それぞれの個性を表出した純器楽曲では、この集団の息の合った演奏で、現代邦楽の面白さをたっぷりと堪能させて頂きました。

II.各曲毎に
1.「梁塵今様」
@「春の初めの」。おだやかな春の気分を表す。
A「鈴はさや振る」。激しいドラの音色で、神の不快感を表す。
B「月かげゆかしくは」。笛が主導して月のさやけさを表す。二部合唱がくっきり美しい。
C「山伏の腰につけたる」。庶民(村人)が山伏をからかうような、おどけた歌詞が面白い。テンポの速い輪唱が楽しい。
D「遊びをせんとや生まれけむ」。有名な代表歌は、格調高く始まるが、次第にテンポを速めていく。難しい曲で、最初、音程がとりにくかったことと思われる。

・ ザ・ユース・クラスの合唱は、斉唱も2部や3部の合唱も自在にはっきりと区分されていて、ハーモニーが素晴らしい。指導者の巧みな指導の下、熱心な練習が実ったものでしょう。
・ 「梁塵秘抄」は最高の権力者・後白河上皇が、信仰や愛欲など歌った民間の歌謡を集めたユニークなもの。庶民の心情が、映し出されている。
先にはこれに材をとった桃山晴衣さんの、三味線弾き歌いのLP・CD「遊びをせんとや生まれけん」がリリースされている。これは宮園系の本格的な大人の歌いまわしの味のあるものである。
この度は、児童合唱曲として蘇えらせて、清純な、透明感のあるハーモニーで、楽しませてくれました。
人情には今も昔もない。私などもこのような優れた古典にもっと親しむべきだとの思いを持ちました。

2.「秋の一日」
@「序曲」。木魚のような、とぼけたリズムが面白い。
A「どんぐりこままわそう」。どんぐりがどこまでも転がっていく様子が表現されている。
B「いわし雲みつけた」。抒情的な尺八のメロディー。箏の音の美しさ。三味線と琵琶、それに尺八と笛のそれぞれのかけ合い。音色を楽しみながら、しっとりした情趣をかもしている。
C「祭囃子がよんでいる」。賑やかなお祭りの気分。太鼓の音に誘われて、思わず駆け出して行くような。打楽器群が手をかえ品をかえ、各種の激しいリズムを刻んで、クライマックスを迎える。(終曲)
・ 曲の前後に子供のナレーションがあって、「子供の世界」を一つのまとまったものとしている。
・ ここに描かれた世界が、もう遠いものになったという実感を持ちます。作曲者の言われるように、「もう1度呼び戻したい」という願いには共感いたしますが。
・ 集団の演奏は調子の揃った小気味良いものでした。

3.「ひかりのうたげ」
 子供達は2群に分れる。ザ・ジュニア・クラス−変声期前のまだ幾分幼さを残す声が可愛い。
 尺八が暗い闇を表し、沢山のホタルの飛び交うさまを歌う。「ほっ、ほっ」とわらべうたによってホタルに呼びかける。フォルテになると、その大きな声量に驚く。ピアノ、フォルテのコントラストの見事なこと。
 三味線などの激しい音型の後、ひそやかな琵琶のソロで、おどろおどろした不気味な様相となる。あの世からのお訪い人か。そして力強い合唱、これからどうなるかと思いきや、最後の一撃で停止、ハッと我にかえるといった趣き。
 戦場で、不条理な死を押しつけられた若い魂を、蛍に仮託させる想いは、多くの人々に共感されるものでしょう。

4.「四季」ダンス・コンセルタントI
@「踊る春」。リズミックな春の喜びを感じる曲。
A「水巡る」。三味線の新内風に始まり、おだやかな調子。箏が主に活躍。
B「秋、そして」。序奏が終ると、秋のわびしさを表現。そして打楽器がリズムに乗って、収穫の喜びを表すお祭を表現。
C「風の花」。十七絃の低音ソロでスタート。琵琶がこれを受け、尺八に引継がれる。太鼓がリズムを刻み、各旋律楽器が、メロディーを奏し、次第に迫力を増していき、最後に太鼓のカデンツァ(エピローグ)。
快いリズムの饗宴。

5.「舞歌II」
 冒頭、尺八3本から笛3本へ、ノイズを交えた不思議な響き。定かならぬ音程。つかみどころのないメロディー。それでも合唱はよく揃っている。よくぞこなした、という感じ。箏がリズムを刻み、絶叫調の不協和音も表われる。「フム、フム」という語を素材としたヴォカリーズ。競うような早口ことばもあらわれる。こんな中、「あんたがたどこさ」のようなメロディーに接すると何かホッとする。風変りな、ユニークな作品。
 合唱の表現力が豊かで、歌唱力はハイレベル。よくぞこれまでこなしました、という実感。ノイジーな荒々しいエネルギー。それに童謡風のメロディーに懐かしさを覚えます。このコントラスト。
 言葉と歌(踊)が未分化の原始の時代のエネルギーの噴出を想起します。ふと「春の祭典」が頭をよぎります。

6.「ロビー・コンサート」
 この4月に入団されたフレッシュメンバー5人による演奏。
若さ炸裂の1楽章
秋の夜を想わせる琵琶の活躍する2楽章
三味線や尺八の速いクロマチック奏法のある3楽章
変拍子から始まり、色々なリズムが表われて、迫力を持って終る終楽章。一番練習に苦労されたところでしょう。
息の合った達者な演奏で、何か得をした気分でした。今後の活躍が楽しみです。

III.演奏を聞き終えて
1. 長沢勝俊氏のことなど
氏の作品に初めて出会ったのは、平成15年2月頃、ある三曲演奏会で、「二つの田園詩」でしたでしょうか。抒情的なメロディーで、日本人の感性にスッと入ってくるような印象で、その後気になる作曲家の1人となりました。
 最近、「長沢勝俊−音に命を吹き込む 長沢音楽のすべて」という小冊子を手にしましたが、内容・構成とも工夫をこらした読み易いものでした。この本によって、氏の歩んでこられた道、および三木稔氏とともに集団の創立以来、その発展に尽力されてきたことを、遅ればせながら、知ることができました。
 家元制度等の長い伝統とともに因襲をも残す邦楽界全般の風潮に棹さして、流派を超えて一体となって、現代にあるべき創造に向って、実践していくことが、いかに困難なことであったか。強い信念と辛抱強い働きかけの努力がなければ、実現できなかったことでしょう。立場の相違からの非難・中傷も経験されたことと思います。
 小生、先月国立劇場で「絵本太功記」を観る機会がありましたが、その時手にした「日本芸術文化振興会ニュース11月号」に「三味線音楽の魅力」と題する1000字エッセイを著名な演劇評論家W氏が寄せておりました。趣旨は、「三味線音楽は歌詞を切り離すことができない。伴奏楽器であって、それ自体、自立している楽器ではない。自立させようとすると、かえって三味線の魅力を殺すことになる。」といったものです。
 W氏が集団や西潟昭子氏の演奏を聴いて居られるか否かは分りませんが、あるいは狭い古典演劇の世界に安住しているのかも知れません。現在でもこのような考え方があるということです。
 西洋音楽の世界では、往時、ワーグナーとブルックナーのご贔屓グループが鋭く対立していたようですが、今では多くの人々がそれぞれの特長を楽しんでいるようです。
 小生としては、勿論伝統ある古典も大切であるし、同時に現代に息づいた現代邦楽も大切にし、両者共存すべきもの、と考えているのですがね。
 いつの世にあっても、創造への意欲は人間としての必然のように思えるのです。

2. ホール・聴衆
今回の会場、第一生命ホールは767席という中規模のコンサートホールで、ステージに対して、縦長の楕円形のユニークなもので、規模の割に広く見えます。木質を多用している故か、音響は温かく、柔かく、邦楽器や合唱にもピッタリの感じでした。
 聴衆の入りは7分位だったでしょうか。満席にしたいものですね。子供さんを含めて男女各層の人々が、集まっております。しわぶき一つなく、皆静かに聴き入っておりました。
 小生は2階中央1列目の席を頂き、ステージも1F客席も十分見渡せる結構なところで、演奏を十分に堪能させて頂きました。
(M.K.)

写真撮影:篠塚 明

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