創立50年にあたり、有識者から頂いた特別寄稿をご紹介いたします。
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小宮多美江
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児玉真
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谷垣内和子
邦楽とアウトリーチとこどもたち
児玉 真
(公共ホール邦楽活性化事業チーフコーディネーター)
1,音楽ホールと日本音楽集団との出会い
日本音楽集団とトリトン・アーツ・ネットワーク(TAN)という二つのNPOの成立はおおよそ同じ頃で、第一生命ホールは、都心にも下町のようにもみえる晴海という場所にできるホールとしてのアイデンティティを、アウトリーチという外に出て行く手法を開発しながら作っていこうとしていくなかで大事な要素だと思えた。その中で注目したのが邦楽への取り組みだった。ちょうど日本音楽集団もNPOとして、邦楽合奏の芸術的可能性を高めていく以外の活動(社会的活動)を模索し始めたところだった。TANは会場を提供することで音楽的な追求(特にテーマ性のある定期公演)を果たしてもらいながら、アウトリーチ活動においては自分たちの持つノウハウを共有して行きたいという気持ちがあったことは間違いない。TANはまず邦楽という装置を学ぶところから始めたわけだけれど、一方で特に学校などこどもたちへのアウトリーチについてはそれまで音楽家がなかなか直感できなかったであろう理念や新しい発想、手法を使って、一緒にプログラムを作ることをめざし、二つのNPOにとって強い意味を持つようにしたいと思っていた。それは、素晴らしい演奏を提供して音楽好きの要望に応えていくこと、それによって音楽に触れる人を増やす、という当時の既製の芸術団体や音楽ホールの王道(特に東京では)とは若干違うことにどれだけエネルギーを注ぐかという実験でもあったような気がする。
2,アウトリーチの始まりと「ゴールのない旅」
日本音楽集団がそのときに一定の学校プログラムを持っていたことは、それをスタートラインに考えられたという良い面もあったが、難しい面もあったと思える。それも今までの邦楽の鑑賞と楽器体験という学校公演の方法とアウトリーチの概念に若干ずれがあったからの故であろう。その後継続して中央区の学校に対して、毎年様々な形でアウトリーチを行ってもらったし、ホールなどでも楽器体験など様々なアプローチを行ってきた。 邦楽に限らないことだが、学校のこどもたちのことを想像しながらアウトリーチのプログラムを作る、ということは、そこに音楽の興味をもてない一定のこどもたちを含む集団に、どのようにすれば意味のある時間をもたらすことができるか、という難問がある。だからこそ、ありとあらゆる方法を考えないといけない。そのためには、まず己が好きで無い分野に対してどのように感じ、どうすれば興味という心の動きの戸口に立てるか、を想像しそれを自分が一番知っている「邦楽」という世界に援用してみる必要がある。それを考えることの楽しさと豊かさをディレクションする人もアーチストも感じられるかどうかが大事なのではないかと思う。 こどもは単に知識や経験の無い無辜な存在なのではなく、社会の様々なことに興味を示し影響も強く受けている存在である。だから、場所、学校の雰囲気、社会現象などで常に変わっているし、学校やクラスごとのムードの違いもきわめて大きい。アウトリーチのプログラムも、正解を見つけてそれを実施するという方法では満足のできるアウトリーチが保証できるというわけでも無い。私の場合、常に動態の中にあり、一つの正解を探すように突き詰められないのがアウトリーチに興味を継続させて飽きない最大の理由だろう。
3,体験するのは音楽か音楽家か。鑑賞とワークショップ
一方で、こどもは単に教えて体験させるだけの相手ではない。今日のコンサートのようなプログラムの意義や面白さもそのことと関係があるだろう。そのことに思いを馳せるのは時間をかける意味がある。実はアウトリーチもコンサートも意識の中ではつながっている。アウトリーチが直接的に集客につながっている、と楽天的に考えているわけではないが、逆にアウトリーチの役割はもっと人間生活の根源的なところにあると思うことにしている。たとえば美味しいお菓子の役割では無くて、それが無いと人間の健康が維持できないようなヴィタミンのようにじんわりと効いてくるもの。 さて、アウトリーチについては、今意識していることが二つほどある。その一つはアウトリーチで音楽家という生身の人間がこどもの目の前に行くことの意味。だからアウトリーチで感じてもらうことは、音楽そのものを理解してもらうことよりも音楽に向き合っている音楽家の姿勢とそれ故に出てくる音楽そのものを体験してもらうことではないか、と思う自分が正しいかどうかということ。もう一つはこどもの身体の中に天性に存在する音楽のなにかをこどもが自分の身体(あたまや心も含む)で感じる方法はより鑑賞よりもワークショップの方向に行くのではないか、という気持ち。これも正解の無い思考の回転なのだけれども、そのような状態を良しとする自分がいると言うことである。
児玉 真
2000年までカザルスホールで、その後NPOトリトン・アーツ・ネットワークで自主事業を企画。2007年からいわきアリオスの自主事業を統括する。地域創造の公共ホール音楽活性化事業や邦楽活性化事業のチーフコーディネーターを歴任。また、各地でアウトリーチ事業のコーディネートやアーチストの指導を行っている。現在、(一財)地域創造プロデューサー、長崎市藝術アドヴァイザー、桐朋学園芸術短大非常勤講師。
児玉 真
(公共ホール邦楽活性化事業チーフコーディネーター)
1,音楽ホールと日本音楽集団との出会い
日本音楽集団とトリトン・アーツ・ネットワーク(TAN)という二つのNPOの成立はおおよそ同じ頃で、第一生命ホールは、都心にも下町のようにもみえる晴海という場所にできるホールとしてのアイデンティティを、アウトリーチという外に出て行く手法を開発しながら作っていこうとしていくなかで大事な要素だと思えた。その中で注目したのが邦楽への取り組みだった。ちょうど日本音楽集団もNPOとして、邦楽合奏の芸術的可能性を高めていく以外の活動(社会的活動)を模索し始めたところだった。TANは会場を提供することで音楽的な追求(特にテーマ性のある定期公演)を果たしてもらいながら、アウトリーチ活動においては自分たちの持つノウハウを共有して行きたいという気持ちがあったことは間違いない。TANはまず邦楽という装置を学ぶところから始めたわけだけれど、一方で特に学校などこどもたちへのアウトリーチについてはそれまで音楽家がなかなか直感できなかったであろう理念や新しい発想、手法を使って、一緒にプログラムを作ることをめざし、二つのNPOにとって強い意味を持つようにしたいと思っていた。それは、素晴らしい演奏を提供して音楽好きの要望に応えていくこと、それによって音楽に触れる人を増やす、という当時の既製の芸術団体や音楽ホールの王道(特に東京では)とは若干違うことにどれだけエネルギーを注ぐかという実験でもあったような気がする。
2,アウトリーチの始まりと「ゴールのない旅」
日本音楽集団がそのときに一定の学校プログラムを持っていたことは、それをスタートラインに考えられたという良い面もあったが、難しい面もあったと思える。それも今までの邦楽の鑑賞と楽器体験という学校公演の方法とアウトリーチの概念に若干ずれがあったからの故であろう。その後継続して中央区の学校に対して、毎年様々な形でアウトリーチを行ってもらったし、ホールなどでも楽器体験など様々なアプローチを行ってきた。 邦楽に限らないことだが、学校のこどもたちのことを想像しながらアウトリーチのプログラムを作る、ということは、そこに音楽の興味をもてない一定のこどもたちを含む集団に、どのようにすれば意味のある時間をもたらすことができるか、という難問がある。だからこそ、ありとあらゆる方法を考えないといけない。そのためには、まず己が好きで無い分野に対してどのように感じ、どうすれば興味という心の動きの戸口に立てるか、を想像しそれを自分が一番知っている「邦楽」という世界に援用してみる必要がある。それを考えることの楽しさと豊かさをディレクションする人もアーチストも感じられるかどうかが大事なのではないかと思う。 こどもは単に知識や経験の無い無辜な存在なのではなく、社会の様々なことに興味を示し影響も強く受けている存在である。だから、場所、学校の雰囲気、社会現象などで常に変わっているし、学校やクラスごとのムードの違いもきわめて大きい。アウトリーチのプログラムも、正解を見つけてそれを実施するという方法では満足のできるアウトリーチが保証できるというわけでも無い。私の場合、常に動態の中にあり、一つの正解を探すように突き詰められないのがアウトリーチに興味を継続させて飽きない最大の理由だろう。
3,体験するのは音楽か音楽家か。鑑賞とワークショップ
一方で、こどもは単に教えて体験させるだけの相手ではない。今日のコンサートのようなプログラムの意義や面白さもそのことと関係があるだろう。そのことに思いを馳せるのは時間をかける意味がある。実はアウトリーチもコンサートも意識の中ではつながっている。アウトリーチが直接的に集客につながっている、と楽天的に考えているわけではないが、逆にアウトリーチの役割はもっと人間生活の根源的なところにあると思うことにしている。たとえば美味しいお菓子の役割では無くて、それが無いと人間の健康が維持できないようなヴィタミンのようにじんわりと効いてくるもの。 さて、アウトリーチについては、今意識していることが二つほどある。その一つはアウトリーチで音楽家という生身の人間がこどもの目の前に行くことの意味。だからアウトリーチで感じてもらうことは、音楽そのものを理解してもらうことよりも音楽に向き合っている音楽家の姿勢とそれ故に出てくる音楽そのものを体験してもらうことではないか、と思う自分が正しいかどうかということ。もう一つはこどもの身体の中に天性に存在する音楽のなにかをこどもが自分の身体(あたまや心も含む)で感じる方法はより鑑賞よりもワークショップの方向に行くのではないか、という気持ち。これも正解の無い思考の回転なのだけれども、そのような状態を良しとする自分がいると言うことである。
2000年までカザルスホールで、その後NPOトリトン・アーツ・ネットワークで自主事業を企画。2007年からいわきアリオスの自主事業を統括する。地域創造の公共ホール音楽活性化事業や邦楽活性化事業のチーフコーディネーターを歴任。また、各地でアウトリーチ事業のコーディネートやアーチストの指導を行っている。現在、(一財)地域創造プロデューサー、長崎市藝術アドヴァイザー、桐朋学園芸術短大非常勤講師。