創立メンバーであり、指揮者・代表として日本音楽集団と共に長年歩んできた田村拓男名誉代表が創立時からを振り返る回顧録。
◆月曜日は日本音楽集団の日に…
 日本音楽集団を始めるにあたって〈月曜日は日本音楽集団の日として、空けておこう〉。
こう切り出したのも三木さんだった。その鉄則は今でこそなくなったが、これは大きな約束となり、結束、やる気をおこさせるものだった。作曲家にしても未知の楽器であり、仲間と仲良くなり、しっかりと勉強したい心境だ。演奏者からも作品には自由に注文を付けたい。創造活動の共同作業はこうして始まった。

◆伊勢原市大山での初合宿練習
 初めての演奏会を目指して伊勢原市大山での合宿練習。全員の胸が高鳴っている。五線譜の読み方、ピッチを揃える、指揮者に合わせる、「○○さん遅れないで!」「そこはもっと抑えて!」「この高い音弾けない!」と箏群からの悲鳴…。時ならぬ"和"の響きが鳴り響き、大山の自然も暖かく迎え入れてくれているようだ。
(※伊勢原市大山での合宿風景は、『邦楽現代22号』創立25周年記念特別号に掲載)

◆定期と銘打たなかった最初の演奏会
 1964年11月17日は冷たい風が日比谷のお堀端にも舞う晩秋の夜だった。「私たちの伝統楽器で現代に生きる音楽を創ろう」と流派を超えて集まり、4月に日本音楽集団を結成してから7か月、いよいよお披露目の時が来たのだ。14人のメンバーは興奮と不安と期待に満ちていた。2回目、3回目の演奏会など全く考える余裕もなく、ともかく「演奏会」をという思いでまっしぐら。タイトルは「第1回演奏会」と書いてあるだけだった。

(写真は第1回演奏会ポスター)
日本音楽集団第1回演奏会  第十九回芸術祭参加
日時:1964年11月17日 午後7時開演
会場:丸の内第一生命ホール
曲目:
(1)「尺八三重奏曲」清瀬保二作曲、
(2)「絃と日本楽器のための協奏曲」三木稔作曲
(3)協奏三章「京琴」元橋康男作曲
(4)「千鳥の曲」二代吉沢検校作曲
(5)「邦楽器による子供のための組曲」長澤勝俊作曲
(6)「くるだんど」〜奄美の旋律による日本楽器と混声合唱のためのカンタータ〜三木稔作曲
出演:尺八/村岡実・横山勝也・宮田耕八朗、箏/山内喜美子・上参郷美枝、十七絃/宮本幸子、三味線/杉浦弘和、琵琶/山田美喜子、打楽器/田村拓男、指揮/横山千秋、ディレクター/鞍掛昭二
賛助出演:アンサンブル・クライス、東京混声合唱団、通産省合唱団、日立家電合唱団、 総理府合唱団、本田技研男声合唱団

今に思えば、東京混声合唱団をはじめ、名立たる合唱団がよくぞ一堂に会して応援に来てくれたものだと思う。アンサンブル・クライスもプロオケのメンバーで構成されている室内オーケストラだ。

◆長澤勝俊作曲「子供のための組曲」と三木稔作曲「くるだんど」の記念碑的初演!高らかに!
 1960年代の主流は十二音音楽(セリー)、電子音楽の花盛り。「十二音で書かない人は作曲家ではない」という風潮の中、箏・尺八・三味線らで新しい邦楽合奏を始めようというのだ。さぞ胡散臭い輩たちと思われたに違いない。
 清瀬保二、伊福部昭は十二音音楽には目もくれない人で、日本民族の響きを追及する姿勢を貫いていた二大巨頭。その二人の薫陶を受けた長澤勝俊、三木稔が日本音楽集団の結成に加わっていたのだ。  長澤勝俊、三木稔という作風の違う二人の作曲家を擁した日本音楽集団、その歴史がここから始まった。

◆いよいよ演奏会当日を迎える
 練習の成果を携えていざ本番! 客席は7割?の入り。物珍しさもあってか、まぁ上々ってとこか! なんといっても「子供のための組曲」「くるだんど」の初演が達成されたことは記念碑的だ。今日では「子供のための組曲」の演奏回数は51年経った今でも衰えることがない。集団以外にも学校などで子供たちまでが演奏している。それほどにポピュラーな曲になってきているのだ。

「子供のための組曲」
 編成:尺八3、三味線、琵琶、箏2、十七絃、打楽器2。全5章からなる組曲。
   1章(かろやかにのびのびと)
   2章(ゆったりとうたう感じで)
   3章(遊戯唄風におどけて)
   4章(しずかに子守唄風に)
   5章(激しく律動的に)
 日本楽器を媒体として活き活きと描き出された子供の世界である。コマーシャル・ソングで育った現代っ子にも新鮮な感動を与える力を持っている。それはわれわれの祖先が伝承し、また常に新しく生みつづけてきた民族の歌であるともいえよう。

「くるだんど」〜奄美の旋律による日本楽器と混声合唱のためのカンタータ〜
 編成:しの笛、尺八3、三味線3、十七絃、打楽器3、混声合唱
   1、くるだんど と 掛声(いとう)(kurudanndo and It|o)
   2、舟歌(Barcarol)
   3、八月踊り(Dance of August)
 美しい南の島である奄美には為政者と労働者の激しい相克の歴史が秘められている。
奴隷たちは黒い雨雲の出現をみて「黒(くる)だんど」と呼ぶ。雨中でも止むことない作業の苦痛を予見した切実な声である。
 この曲は彼らが働き、嘆き、憂さ晴らしをした、その言葉や旋律の断片をかりて、能動的な日本の音楽をめざす讃歌にしたものである。